農機具の歴史について

農業で多くの人が使っている農機具。現在は土地を借りて本格的に農業が行える家庭菜園がメジャーになってきたので週末や休みによく使っている方も多いと思います。しかし、農機具の成り立ちを知らないという人も多くどうして鍬や鋤があのような形になっているかご存じではない方が農家の中でもほとんどいません。

今回は農機具が日本でどのように産まれ、発展していったのかについて解説していこうと思います。

農機具はいつ生まれたか

農機具の始まりは農業が始まったのと同時に始まったとみていいでしょう。焼き畑農業のような原始的な農業でさえ棒きれのようなものを使って農業を行っています。そのため、最初期の農業でもすべての作業を棒きれで行っていたことが考えられます。

ただし、それでは効率が非常に悪すぎます。そこで用途に合わせてより作業がしやすく効率化するように新しい農機具が開発されたのです。日本では縄文時代に米の栽培が大陸から持ち込まれ日本各地に農業が普及し始めました。

この時すでに中国では基本的な農機具が開発されていたので、日本の農機具はある程度発展した農機具を使って農業を始めたのです。最初の頃は木製の効率が悪い農機具がほとんどでしたが、やがて石器製のものを経て古墳時代の頃には鉄器製の農機具が使われるようになりました。

農機具が一気に発達した江戸時代

江戸時代を迎えると農業が一気に発展します。この理由として当時の江戸幕府や大名が重農主義を取っていたことがあげられます。武士の格付けや給料を現す指標としてよく石という単位が用いられていますが、実はそれはお米の量を計る単位です。

このように武士の給料がお金でなく、お米で払われており、大名もお米の量を基準として年貢を取ってきました。そのため、当時の幕府や大名はより税収が増える事を期待して新田開発等の農業振興策を積極的に行ってきたのです。

このような農業重視の制作が、どうして農機具の発展を促すことになったのでしょうか。確かに新田開発などで江戸時代は飛躍的に農地に増えましたが、耕作しない百姓がいなければ荒れ地に戻ってしまいます。しかし、それを行える農民を育てるのは10数年以上かかりますし、現在のように足りない人員も海外から連れてきて従事させる方法も、当時鎖国を行っていた関係で行う事ができませんでした。

そのため、農機具を改良して一人当たりの耕作面積を増やす方法を多くの大名が採用したことで農機具がこの時代に発展したのです。

この時期に改良された農機具の中の代表的な存在として備中鍬や千歯扱きが良く知られています。備中鍬は従来の鍬とは違って湿り気のある土を耕しても、歯の先に土がつきづらくなっており、主に粘土質の土地で農業を行う時や棚田や小規模農業等、牛や馬を使って農業を行えないほど狭い土地で農業を行うのに使われました。

千歯扱きは従来お米の脱穀を行う際、穂を一本一本しごき取っていた方法と比べて束のまま一気に脱穀できため、農業の効率を大きく上げています。

農業機械の歴史は意外と古い

現在の日本ではトラクターなど機械の力を使って動かす農業機械と呼ばれる機械がよく使われています。このような農業機械は結構最近まで開発も使われてはいなかったと考えている人が大多数を占めています。実は農業機械の歴史は意外と古く、明治時代にはすでに農業機械が日本で使われており、明治33年には農業用のエンジンが用いられ始めました。

その10年後、「農発」の国産機が開発され、1920年代には他の農用機関も国内生産が始まりました。

農業機械の発展を阻害した戦前の農業制度

では、なぜ農業機械が日本で使われるようになってから普及するまでかなり時間がかかったのでしょうか。これは当時の日本の土地制度にその理由を求める事ができます。当時の日本では寄生地主制と呼ばれる、田畑など農地の所有者である地主が、小作人と呼ばれた農民に土地を貸し出して耕作させ、地代として小作料、つまり成果物である米や麦などの農作物の一部を徴収していました。

現在でも土地を借りた場合賃料を取られはしますが、小作料の場合は高額であった事が多かったことから地主と小作農の貧富の差が広がっていったのです。小作料が高額であるため、土地を多く持っていた地主は自分で土地を耕さなくても生活が行えるようになりました。

つまり毎年決まった小作料を受け取ることができれば自分たちは暮らしていくことができるので農業機械を導入する必要性を感じませんでした。一方小作農にとっては税金や小作料が引かれたら手元にわずかしか残らなかったため、とても農業機械を購入する余裕がありませんでした。

そのような状況が原因で農業機械は日本に普及しなかったのです。

農地解放を契機に農業機械が普及

このような状況が改善されたのは戦後の改革がきっかけでした。もともと戦前から農村の疲弊を除くために地主制度を解体する政策案がありましたが、地主や華族の抵抗によって行うことができませんでした。しかし、太平洋戦争で日本が敗北したことにより、GHQが進駐します。

GHQは寄生地主が日本軍国主義に加担したという見方から、農地の改革を行いました。これによって寄生地主が所有していた農地は非常に安価な価格で小作農が購入できるようになり、多くの小作農が自作農となりました。

これによって従来の小作農は小作料を取られる心配がなくなり、農業機械を購入する余裕が出てきたことで増産技術の導入を積極的に行なうようになりました。その流れを決定的なものにしたのが1953年に公布された農業機械化促進法です。

この法律によって国や自治体は農機具による機械化を農家に対して後押しする政策を行い始めるようになりました。その結果、畑を耕す耕運機の数は昭和35年には52万台だったものが5年後には6倍近くまで普及率が向上し、昭和50年ごろには全行程が機械化されました。

農機具の今後の展望

現在の日本の農機具はすでに完成されており、現在では中古品を中心に多くの国で日本製の農業機械が使われています。ただし、完成されているということは逆に言えば発展の余地がほとんどないという事であり、今後急速に進歩する農業機械技術や普及する農業機械はないと考えられています。

そんな中でもより高度な機械化の研究もおこなわれておりロボットを使った農業も現在研究されています。遠い将来農業はすべてロボットが行い、人間が農業に携わるのは趣味の部分となる未来が来るかもしれませんね。

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